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こだわり(新築・注文)住宅・リフォーム・ガーデニング・インテリア設計を得意とする株式会社キリガヤ 代表取締役 桐ヶ谷覚の日記です。

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小泉元首相の退陣に思うこと

今回突然の引退に小泉さんらしい「サプライズ」と思いますが、じっくり練られた作戦のように思います。

私は今から32年前の76年(S51年)の第34回総選挙と次の選挙で、小泉さんの選挙時の秘書をやらされた経験があります

その時は修行中で横須賀の会社にお世話になっていた時で、その会社が小泉さんを応援していて、社長の命令で秘書の任が飛び込んできたという訳です。
当時21日間の選挙で、川崎と三浦半島の飛び区でした。
候補者は27歳で父の死去に伴い初立候補。落選。
30歳で初当選し、二度目の選挙で、とても安定した票読みはできるはずもなく、朝は6時の駅頭から夜の個人演説会までびっしりスケジュールが詰まっていて、息つく間のない日程でした。
私は寝るのは平均3時間位で、朝から夜中まで候補者のスケジュールを持たされ、そばに張り付いてる状況でした。

その時は小泉さんは34歳の時で、時局は新自由クラブ発足の時でした。
新自由クラブの旋風は神奈川発祥でもあり、神奈川全区がトップ当選というすざましい選挙でした。
この選挙では二区は田川さんがおられ、もちろんトップは田川さん。
小泉さんは4位での当選と記憶しています。

当時から小泉さんは逆風の中、自民党内部にいて改革を行うんだと訴えていました。
私はどう間違えても小泉さんが首相になれることは絶対にないなと思っていたのですが、あのような時代の変化のときだからこそ、巡ってきて待望されたことと思います。
それが歴史に残る長期政権となりましたが、今はその反動も確かにあるかもしれません。

しかしもし小泉さんがあそこでやってなかったら、日本は相変わらず一年毎の首相交代をやっていたのでしょうか?

それ以来小泉さんとの凝縮された選挙期間の生活を共にした経験から、小泉さんの人となりを考えると、とにかく真っ直ぐな人としか言葉が見つかりません。
首相時代の言動も、あの若かった時代の言動も決してぶれる事のない人でした。
その姿は今も全く変わりませんね。

私の人生においても本当にいい経験をさせてもらったと感謝しています。
あの飯島秘書官も当時も一緒で、いまでも選挙のときのやり取りことを思い出します。

小泉さんは今後は資格や役職に恋々とせず、真に日本のあるべき方向を指し示す役割を担って欲しいと思います。
政界では森さんのように訳分からないことをやりながら、さも首相経験者をかさにきて一端のようにやるよりも、本当に突き進まなきゃならないことにはっきりと物申す人になって欲しいですね。

今はなにより、まずはご苦労様でしたと申し上げ、今後のご活躍に期待申し上げます。


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