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夏休み2012(Ⅲ) 陸前高田・・・あらためて被災地を。

陸前高田にいくといつも僕たちのことを心待ちにしてくれる人がいます。

その一人、陸前高田竹駒仮設住宅に住む I さん。

この日 すぐに出迎えてくれて、私は初めてお会いする妻を紹介しながら、ご無沙汰のお詫びと、簡単なあいさつを済ませるとすぐその足で 「連れて行きたいとろがあるから・・」と I さんに言われ、私と妻は I さんの車に乗り、陸前高田の中心地に向かいました。

案内された場所は街中でひときわ小高い、丘のような場所。

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そこの頂上にのぼると市内が一望できました。
そこには雑草が生え、あたかも以前から丘だったかの様相ですが、

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案内された丘とは、がれきが積上げられた がれきの山 そのものでした。

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スーパー「MAIYA」が見えます。

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多くの局員がなくなった陸前高田郵便局も見えます。

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遠くにホテル1000も見えます。

見渡すと市内には市役所。図書館、病院、ホテルなど主要の建物がありますが、
4階まで津波にのまれてしまったあとが無残に残っています。

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これらの建物も近々に取り壊されることになっているそうです。
「建物がなくなってしまうのもまた、つらいことです。以前の名残が心の支えになってたんだけどね・・・」とさびしそうに
I さんはおっしゃってました。

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次に案内された場所は、高田松原 “一本松”

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多くのひとたちがこの松を写真に納めようと、遠くから来られているようで、
首都圏や遠く関西圏のナンバープレートを見かけます。
遠くから来られた方はこの地は車両進入禁止」と思っているのか、遠くに車を置いて歩いて現地に来られます。
しかし超地元民の I さんは松の根本まで車でのりつけてくれました。
「これだけの人たちが松を見に来てくれるんだから、道路も整備しなきゃね・・・」っていってました。

次に案内された場所は、一本松を海側から見渡せる場所。近くには気仙中学校の校舎を目前に見ることができます。
ここ今泉地区は気仙川沿いで市内の中でも被害が甚大だった地域です。
仮設住宅をつくる場所もななく、いまだがれきもそのまま山積のままでした。

気仙川を数百メートルさかのぼったところに、気仙小学校があります。

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ここは、気仙中学校より高台にあり、通常は避難所となっていたところだそうです。
にもかかわらず校舎の3Fまで津波にのまれてしまったそうです。
しかし、この小学校の先生の一人が、異常を察し、いつもの避難所よりさらに高所への非難を促し、
児童たちの命を守ったそうです。

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常避難所に指定されていた場所は津波にのまれていたそうです。

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そのすぐ裏手には小高い丘の上に諏訪神社があります。
ここもまた非難する人々が高台を求め駆け上がった場所の一つだそうです。

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鳥居や石段の一部は津波に流されていますが、上部までのぼることができます。

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津波最高到達点はおよそ想像のつかない高さ。

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この石段を人々は子供を抱え、必死に駆け上ってきたそうです。
背後から迫りくる津波から、子供たちだけでも・・との思いで子供たちを抱きかかえ、
リレーで上へ上へと送り上げていったそうです。
目の前で流されていく人々を見ているしかできないもどかしさ・・・想像を絶します。

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ここからも陸前高田市内が一望できます。先ほど上ったがれきの丘が真正面に見えますし、
眼下にはヤマゼン醤油 八木沢商店のあった跡地を見ることができます。

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この写真のように 震災以前は、ここに住宅が密集していて、いまのようにはっきりと川面は見えなかったようです。
しかし、今は遮るものなく市内を見渡すことができてしまいます。

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震災以前、 気仙町 八木沢商店のすぐ近くに、I さんの家はありました。

3.11 当時 I さんは市内の図書館にいて、地震の直後ことの異常を察し、自宅へと向かいました。
普段は車で5・6分の道のりがそのときには渋滞して、思い通りに前に進むこともままなりませんでしたが、
やっと自宅近くに到着し、車を降りたその時、すでにくるぶしまで水につかる状況だったそうです。
さらに自宅へ向かい歩き出そうとすると、音もなく、静かに自宅が自分に近づいてくるように見え、
目の錯覚かと思いきや、自宅が津波に流されていたようです。

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危険を感じたIさんは、高台にかけ上がります。
人様の家の庭先を抜け、とにかく道なき道を駆け上がり、急斜面の藪の中を上へ上へ・・・。

Iさんたちと反対側のコンクリート擁壁側にいた人たちは、そこを上ることもできず、その場であきらめてしまったそうです。
ここでも多くの人たちが命を落としています。 I さんには顔見知りの人たちも多かったことでしょう。

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今は、I さんの自分の家の敷地には、何事もなかったかのように雑草が生え、
そこに優しくひまわりの花が咲いていました。
ただ何事もなかったかのように・・・。

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I さんの家近くには「幸福の黄色いハンカチ」を模して、
この地にこのように大漁旗とともに「黄色いハンカチ」を掲げているひとがいます。
いろんな形で復興の気持ちを表しているようです。(ここは山田洋二監督も訪れた場所です)
みなさんも機会あったら ぜひ見に行ってください。

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